2013/11/30 堀川鮮魚ブログ

新潟湊と沼垂湊 その2


こんにちは。前々回の「新潟湊と沼垂湊 その2」です。
この前、謎の先生に教えられたもう一つの湊稲荷神社を訪ねて対岸にやって来ました。

発見しました。湊稲荷神社。足元を見ると石の橋が掛けられています。

お邪魔します。進んでいくと境内にはブランコが。

ここは昔、「沖の口湊稲荷神社」と呼ばれていたそうです。豊漁と海上安全の神様を祀っています。静かに佇む神社の様子に、遠巻きで見てしまいました。

さて、歩きます。寺町を過ぎて沼垂白山神社へ。

こちら開基は古く927年の延喜式に記載されているそうです。現在地に落ち着いたのは1726年頃で現社殿は1847年に再建のものです。本殿の彫刻がとても立派。有名な方の作だそうです。こちらは必見。

さてと後ろを振り返ると道路を挟んだ向かい側にも神社がありました。こちらは乙子神社(おとこじんじゃ)です。こちらは1368年に開基。現在地には1711年頃、お向かいの白山神社とほぼ同じですね。それでは失礼して…
この鳥居、あまり高さが無いんです。背の高い人は注連縄にぶつかるかもしれません。

狛犬が居ました。大正9年、古いですね。

これはなんでしょうね。よく見るとグルッと名前が彫ってある。漁業関係の方でしょうか。
調べてみたらこの神社に春にはマスや川ガニを、秋にはサケをそれぞれ奉納していたそうです。

奥には金比羅神社があります。ここと本殿はお正月になると大漁旗が建物を覆います。鮮やかな大漁旗を見ていると晴れやかな気持ちになります。機会があったらぜひ訪ねてみてください。写真上の絵馬は豊漁の神様だけあって宝船でした。

さて帰ろうか、とふと見ると


あれ、橋の欄干がある。反対は…無い。昔は水路か堀があったのでしょうか。
写真上の欄干の先は栗の木バイパス。かつての栗の木川ですね。そこからの水路があったのでしょう。跡地は今は道路になっています。
               これなんでしょうか→
橋に関わるものだったのですかね。

さっきの水路跡を歩いて言ったら沼垂小学校に着きました。昔は新発田藩の米蔵があった所。舟で運ばれてたのかな。明治4年まで蔵は使われていました。遺構はありませんが当時の松が「御蔵の松」と呼ばれてその一片が校内で保存されています。

二つの湊めぐりは気が付いたら対岸同士で共通点が多く見つかりました。しかしその歴史は信濃川を挟んでとても対照的なものになりました。

新潟市は水と闘い、水と共に繁栄した街でした。もっと新潟と水・湊の歴史が知りたくなりました。

What’s NIIGATA?

 

 

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